迫真魔術部!タルパの裏技!

淫夢要素はありません

取り急ぎTwitterの話

全部凍結しました

 

 

こんなに元気だった彼女も数秒後に凍結しました

戻そうにもメルアド死んでるので復活できません

戻す気も失せました

Twitter今までありがとう

くたばれイーロン・マスク

お久しブリーフ(激寒)宇宙元旦編

あらいらっしゃい。ご無沙汰じゃないですか。

 

……俺が記事書いてないからなんだよなぁ。

 

宇宙元旦とは春分の日のことらしい。
元旦とは元日の朝だ。
旦の字から見えるように日が昇る様子を表している。
ので、まずなんかいろいろと違う気がする。
地平線や水平線、占星術風に言えばアセンダントが宇宙に存在しているのだろうか。
そもそも宇宙とは何を指すのか。
占星術は地球上の天球を見て諸事を卜うもので、牡羊座は地球から見なければ牡羊座ではないから、地球の範囲は出ないのだが……、いったいどういうことなのだろう。
生まれ落ちた人間の浴びる星々の光とその関わりを見るのではなかっただろうか。
この語が黄道十二宮元旦とかならわかった。
地球元旦や太陽系元旦ならギリ理解できる。
宇宙元旦ってなんやねん。
という話から、オカルティストのビジネスの話をしていく。
マジで俺がオカルトでは金取らないことにしてるからギリ書ける記事であって、もし金取っててこういう記事書けるオカルティストおったら狂人やでホンマ。
普通に営業妨害やって言われたら……。
おっ、そうだな(適当)

 

私はスピ系が苦手である。
ニューエイジ系も苦手だ。
それは神秘の切り売りだと思っているからだ。
切り売りという語にかなり悪感情があるが、何もすべてを貶している意味の切り売りではない。
純粋にビジネスとしての売却という意味だ。
そして純粋なビジネスと人間の感情はかなり離れた位置にある。

 

結論から言うと、ビジネスマンとしてのオカルティストは、売れそうなものを全体の中から切り取って売っているということに尽きる。
それについて思うところは多々ある。だいたい悪感情だけど。
うまくは言えないが、今日この日までオカルトの灯火を繋いできたのは間違いなくスピリチュアル系ないしニューエイジ系のオカルトの文脈である。
オウム真理教をはじめとするカルト宗教による様々な悪辣な人間の悪意の煮こごり(罵倒語省略)ポイテーロ...

…そういう悪意によって、日本人は宗教をはじめとするオカルトないしそれに類する様々な神秘に対しアレルギーといってもいい文化的な素養を獲得した。
このような下地があるという前提に立ってみれば、彼らがオカルトの文脈を守ってきたという意味はゼロではない。

しかしながらそこに弊害がなかったとは言い切れない。
まず、それを語る相手の知性もしくは正気の欠如。
オカルトアレルギー持ちの日本人の中で、アレルギーの無い本物のイカレ野郎しかオカルトの言葉を聞くものはいなかっただろうことは想像に難くない。
より柔らかい言い方をすれば頭のネジが緩んでなければオカルトなんか真剣に扱わないのだ。今もね。

現代にもはびこっているが、陰謀論はその類いである。
知っての通り陰謀論は愚者が賢者になったつもりになれる違法薬物だ。
賢者も知らぬ世の真実を知っているのだと錯覚させ愉悦に浸らせる。
ではなぜ賢者は陰謀論を知らぬのだろうか。
それは真実ではないからだ。
阿呆だけが自分が阿呆だということを知らない。


(読まなくていい部分)

陰謀論とオカルトのロジックは近いところにある。
陰謀論は愚者を賢者になったよう錯覚させ、オカルトは凡人を超人になったかのように錯覚させる。
何者にもなれない私が何かになりたくて魔術に手を出す。
私はそれを良い傾向とも悪い傾向とも捉えている。
何事もそうであるが、真面目にやらなければ成果はついてこない。
魔術もタルパもそうである。

最近私の活動が功を奏したのか、ネット上(Twitter上)でオカルト派、それも私の提唱する技術ツリーを継承した人たちが散見されるようになってきた。
他者とあまり交流しない私ですら見かけると感じているのだから、実際にはもっと大きなムーブメントになっているのではないだろうか(エコーチェンバー現象)(もしかして:気の所為)
それはそうとして、単純に何の修行もしていないように見受けられる人が魔術師を名乗るようになっていることが気がかりだ。
確かに魔術は凡愚を超人に覚醒させる効果が"無いとは言い切れない"。
だがそれは1回瞑想したら劇的に世界が変わったとか、ちょっと開合功をしたからヒーリングができるようになるとか、ビジュアライゼーションに1度取り組んだから視覚化くっきりはっきりできたとか、そういうものではない。
1回ジム行ったらキックバックのPVの米津玄師さんみたいにムキムキになるわけではない。
筋トレは1日にしてならず。
魔術訓練も1日でどうにかなるたぐいのものではない。
それを知ってか知らずか、いや知らないんだろうけど、精神作用のある薬を使用している非健常者まで魔術師ないし魔術師見習いを自称するようになっているのを見かける。
これに対し、タルパ界隈に魔術を持ち込んだ立場上、私は苦言を呈さざるをえない。
私自身何度かTwitter上で言っているし、このブログでは…書いたかどうか覚えてないんだけど…、酒を始めとして精神に作用するもの(つまり向精神薬含む)を使用して魔術など神秘行に触れてはならない。
これは大原則で大前提で大事なお約束ごとだ。世間に迷惑をかけないために。
入門書として私が喧伝しているW・バトラー氏の魔術入門すら読んでない門前にもいないクソガキがムニャムニャ経を唱えているフリをして得意満面になっているのがどうしても不愉快である。
門前の小僧が習わぬ経を読んでるならまあまだ許せるような許せないようなグレーゾーンなのだが、門前にもいないのに経を読むフリで魔術を語るのが不愉快でしょうがない。
マジで不愉快なので過激な言葉になりそうなところをグッと堪えて、この文章である。
編集前はお察しください。

とあるタルパーさんが魔術訓練用サークルをディスコードで立ち上げて、立ち上げた本人以外がまったく訓練報告をしていなかったグロい様相を見せつけられてからずっっっっっっっっと言いたかったことをここで吐き出すことができた。ありがとうございます(for 読者)

(読まなくていい部分終わり)


話を戻そう。

次に、伝えるには毒気を抜かなければならなかったということ。
つまりオカルトをオカルトと思わせないような工夫。
脱臭作業工程。
これについて深く説明する必要はないだろう。
どのように伝えれば相手に受け入れられやすいかを突き詰めた結果であり、ブッダも人により説法を変えている。
これにより秘技は言葉を変えて伝わりその過程で内容まで変わってしまった。
言い回しを変えたり婉曲表現を用いたりしてその先にある芯を説こうとしたのだ。
アホ相手に。
あとは皆様のおもちゃです。

ちょっと前にタルパー以外の人にタルパについてを説明したときに変に理解されてしまったとかいう事象を聞いたのだが、それも似たようなものだろう。
他人に100%の理解を期待してはいけないし、自分の説明能力に100%の自信を持ってもいけない。

そういうわけで我々何かを伝える側の人間は、伝え方や伝える相手もそこそこ選ばねばならんのだなぁと思いました。


オカルトビジネスの話。
切り売りということからわかるように現代のオカルティストは知識、技術を売らなきゃならない。
俺みたいに無料で開陳してるのはイカレポンチである。
売るためには売れるものでなければならない。
先述の通り日本人にはオカルトアレルギーがあり、オカルティストの売るものはアレルギー表示をすり抜けられるものでなければならない。
だからオカルト要素を抜く。まるで将棋だな。

ミクロコスモスとマクロコスモスの照応と自己認識の操作を組み合わせて世界そのものへ…という書き方は好まれないわけだから、引寄の法則とか別な表現を用いる。
瞑想により自己の外殻を認識して操作しアストラル投射を用いて神秘に触れて…という技術ではなく、想いの力が云々という柔らかな言葉の毛布で包んでしまう。
そうすればアレルギー表示義務がなくなる。
これは別物だから、と。
そしてそれを売る。
当然売るためには誇大広告は付き物だし、エライ誰かさんのお墨付きも必要だ。
アメリカから世界に暴れ回ってるフェンタニルも、パーデューとFDAアメリカ食品医薬品局)が太鼓判を押したからだ。
どんなゴミでもそうすれば売れる。
凡人を超人に変えると錯覚させるテクなら、陰謀論みたいに中毒性がある。まるでフェンタニルだな。

魔術師も売れなければ飢えて死ぬ。
それが資本主義社会の真実だ。
このビジネススキームが陰謀論にもまた使われている。
ターゲットはどうしようもないアホで社会的弱者で自己顕示欲が強い。
そういう人にこれが真実ですよと言って売りつける。
引き寄せの法則によって何でも願いが叶いますよと言って売りつける。
何も変わらない。
何が悪いのであろうか。
騙される信者の社会的弱者か。
騙して信者に売るオカルティストか。
そうでもしないといけない環境を押し付けてくる資本主義か。

私は反資本主義だが、この場合はオカルティストが悪いと思っている。
売るなら値段に分の価値があるべきだというのは当然として、オカルティストの信者事業スキームそのものに問題があるから。
そしてそれはマナー講師の事業スキームと同じだから。
更に言えばそれはカルト宗教の事業スキームと同じである。
顧客の不安感を煽り、それに対する商品を売る。
もしくは逆に、売りたい商品に合わせて顧客の不安感を煽る。
それが今日の晩御飯になるからだ。
人は飯の種のために人を殺すからだ。

もし仮に私が今の仕事を辞めて、…辞めてぇなぁ…、オカルトで食っていくとしよう。
そうなればまずブログは全削除し、Twitterも消す。
そうして無料の情報を回収して、有料記事を書く。noteとかで。
それも小出しに。

そして自然とタルパーをターゲットにするだろう。
それから「正しいタルパの作り方」「危険なタル活やってませんか?」「ちょっと待って!タルパの声を聞いてますか?」「タルパを信じられない人へ」等の不安を煽る記事を飛ばしまくる。
また同時に「願いを叶える10の習慣」「タルパと歩むたった1つの方法」「これだけでタルパが願いを叶えてくれる真実の答え」などの記事を書く。
内容は全部でっち上げる。
777の書か法の書を開けば、まあでっち上げるネタには困らんだろうし、他のヤバい信者事業やってるアカウントからパクってもいいなぁ。コード114514とかさ。
徳利の口から注ぐのはマナー違反で、口の反対から注ぐのが正しいマナーだからだ。
何もかも金の前には間違いだらけだ。
なぜならそれを証明する手立ては無く、それを否定する資料もないからだ。
ケチをつけてくるやつは偽計業務妨害罪で、貶してくるやつは名誉毀損罪で、嘘つき呼ばわりは侮辱罪だ。
こういう事業をやっていて、これだけの費用がかかっていて、これだけの被害を受けましたと訴えてやると息巻くだろう。
また同業者とのプロレスは欠かせないし、界隈での評判を操作することも忘れない。
どんな手段でも用いてタルパwikiの管理権を手に入れて自分の評価を上げるよう操作する。
何か大きな炎上事件が起これば、オポノポノとでもバタフライハグとでもシコって寝ろとでも言って人心を懐柔するだろう。
マジでどっかで聞いたことあるようでどっかに心当たりがあるんだろうけど、このようにして自分の事業スキームの中に取り込んで信者にする。
どっかの誰かみたいに1年も2年もブログをほったらかしにしない。
どっかの誰かみたいにプロレスでもないガチの潰しにかかるムーブもしない。
全員が潜在的需要であるから、他人の信者(アホ)は潜在的に自分の信者(アホ)だからだ。
で、こっちの土壌を荒らそうとするなら戦う。
金の恨みは怖いんだぞ、と。弁護士に言うぞとか言って。
Twitterで見たことあるムーブでしょ。
あれはビジネススキームか、それの表面だけなぞったムーブだからです。(ここ個人名は伏せるか消すか)

ここまでどうすれば金になるかがわかっててそれをやらないのは、それが私自身の魂の尊厳を削るからだ。
オカルト、魔術、タルパというそれぞれ他人の精神の根幹に触れるものを土足で踏みにじる行為がどれほど自分の魂を穢して汚して辱めるかを知っているからこそ、私はそれをしない。

もちろんのことだが、対価を要求することと、事業スキームに取り込むのはワケが違う。
占いや霊視に対価を貰うのは当然の要求だと思うし、何もそれに批判的なわけではない。
ただし、事業スキームに取り込むのは継続的に搾取するということで、それは詐欺と何も変わらない。
マジでここ表裏一体だから気をつけようね。
最初はそのように善良なオカルトの売り手が、金の魔力に取り憑かれ、新しいマナーを発見するがごとく、新しいタルパマナーを高らかに宣言しないとは口が裂けても言い切れないから。

私自身現金大好き人間で、そして自分の心根の醜さを私自身が一番良く知っている。
ひとたびでも何かオカルト的な話から100円でも取れば、私は今後対価無しに情報を開示しないようになってしまうだろう。
だからこそ私はお金を取らない。
お金を取るオカルティストを批判しているわけではない。
これは本当に。
俺みたいに金と時間をかけて集めて実践した成果を無料で開陳してるのがとびきりの狂人だから本当に気にしないでほしい。営業妨害だって言われてもやめねえけど、それはそれこれはこれ。

これは警句である。
我々人間が何かを伝えるとき、その言葉は何かの拍子に受け手の人生に致命的な影響を及ぼすのだ。
そのつもりがなくても。それを肝に銘じておかなければ、容易くお金のためにネタを作り出すだろう。
私がオカルティストのビジネスが嫌いなのは、その者のモラルが露骨に見えるからだと思う。
そして大抵の場合、酷い汚物を見てしまうからだろう。
宇宙元旦のように。

終わり!閉廷!…以上!皆解散!

カンリちゃんに書けって言われたから書いたタルパの作り方とその訓練方法 その3


改めて述べるが、チベット仏教のタルパは世界(真理)のアヴァターラ(化身)を降臨させる術だとされている。

仏教の到達目標はブッダのように解脱することである。

チベット仏教ブッダのように解脱するために修行を重ねるが、通常の人間ではブッダのように輪廻の間に徳を積んでいないので解脱できない。

そのため、記憶を保持したまま輪廻できるようにする。

 

いわゆる東京リベンジャーズだ。

 


…嘘をつきました。


記憶を保持しているのだから、強くてニューゲームだ。

小学校なんかではもう無双だろう。

中学になると、筆者は正直英語はヤバいと思う。

まあそれも次の輪廻で英語も覚えたまま転生できちゃうぜ、というのがダライ・ラマとかの記憶を持ったまま転生するというものだ。

あれは一応化身としての側面、菩薩様とかの垂迹として受肉しているんですよというものらしいが……。

とにかくチベット仏教ではトゥルパというのは化身であり、霊的な師匠を通じて、自分を高める1工程なわけです。


ところが、アレクサンドラ・デビッドニールが神智学的再解釈を経て、タルパとして再解釈しちゃったものだからさあ大変!

と、いうわけでタルパの作成方法に西洋魔術の技法を使う必要があったんですね(メガトン構文)

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神智学で有名なエレナ・ブラヴァツキー女史(ライダー)がクリスマスを祝う姿.png

 

なので、今のネットタルパは違う!元々タルパは~~云々と言う人は、そもそも俺らに言わずにアレクサンドラ・D女史に言うべき。

我々はアレクサンドラ・D女史の提唱したタルパを作っているのであって、元々の化身がどうのこうのはそもそもお門違いなわけです。

さらに言及すると、神智学というもの自体がレムリア人だのアトランティス人だの言ってるところだし(これまで一生懸命書いてきたブログの根拠資料を叩き壊すようなムーブをするケイオス魔術師の鑑)

そういう混乱を招いた罪を償うために、エレナ女史は今日も薄い本で活躍しているわけですね。

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水垢離によって罪を雪ぐエレナ・ブラヴァツキー女史(アーチャー)の水着姿.jpg

 


さて、言い訳を重ねたところで、本題に入ります。

 


⑤マインドパレスの構築

 

さて、④(魔術的な)視覚化の訓練によって、あなたは心の中に自分の望むモノを思い浮かべることができるようになっていることと思う。

続いて、その心の空間そのものを固定化して、タルパをそこに収納する方法を学ぼう。

先述の数々の訓練において、あなたは思い出す能力と思い浮かべる能力が強化されている。

西洋魔術において、悪魔や天使を呼び出す術を召喚ではなく喚起と書くのは、それが術者の原初の記憶から呼び出されるものだからだろうか。

タルパも同様の工程を用いる(その方が楽なため)

タルパの絵を描いたりするのは、タルパのイメージを脳に固着させるためである。

そのいくつものパターンを脳が呼び出して、視覚化(魔術用語)としてタルパを構成する。

なので、タルパは記憶の集合体であるとも言える。

本題のマインドパレスの構築の方法については、もう各自「マインドパレス やり方」とかで検索してほしい。

個人的な解釈であるが、タルパ界隈で「ダイブ界」と言っているのはコレそのものか、その亜種じゃないかと思っている。

タルパは通常はこのマインドパレスの中にいて、必要に応じて現実世界に重ね合わせて出てくる、という方式が楽だと思う(常にタルパの存在を外に出しておいて視覚化する行為は、日常生活において危険であるため)

 


⑥非言語の送受信


さて、ここまでの一連の訓練をこなせているのであれば、この単元はオマケみたいなものだ。

視覚化(魔術)で得た記憶の中のリンゴは、言葉で表す以上にリンゴそのものの情報である。

この純粋情報のみ、イメージだけでやりとりするのが非言語の送受信である。

これは能動的な想像ができるようにならなければ見極められない。

①で述べたように、自分が思い浮かべたイメージと、タルパ側が思い浮かべたイメージなのか。

その区別ができていないと、タルパとの非言語の送受信は難しい。

能動的な想像をした瞬間にタルパはそれを察知して、能動的ではないが具体的な想像が割り込んでくる。

この情報の送受信ができなければ、タルパの声を聞く聴覚化には進めない。

なぜならタルパが何を伝えたいかがわからないからだ。

何を伝えたいかを理解していないのに聴覚化はできるはずがない。

虚空に耳をそばだて続けるのと変わりがない。

タルパの意志に術者側で声を想起して重ね合わせる工程が必要なのに、非言語の送受信ができないのに聴覚化しようとすることは、翻訳するべき原文が存在しないのに翻訳を試みるのと同じで、不可能で不毛だ。

 

 

・おわりに


さて、かなり駆け足であったが、タルパ作成のために術者が身につけるべき6つの技術を述べた。

 

①自己の感知

②不可視の力の感知

③不可視の力の操作

④(魔術的な)視覚化

⑤マインドパレスの構築

⑥非言語の送受信

 

これらは大別して以下に分けられる。

 

①:大前提の基礎の基礎

②③:触覚化

④⑤:視覚化

⑥:聴覚化


早い話が、タルパーが求める五感化に必要なものに繋がっているわけだ。

なので、すでにタルパがいるタルパー諸氏にも一度基礎から見つめ直してもらうきっかけになればと思う。

 

 


・蛇足

 

タルパ界隈はクソだ。

 

黎明期からこれだけの時間があって、未だに統一された訓練方法や、基礎的なタルパについての理論が存在しない。

 

考察勢とかいうアホなやつらはいても、なにか小難しい単語を並べて、それを他のアホが
「難しそうだからわかったふりして褒めておけば自分も賢く見られるだろう」
と思って当たり障りないコメントをする地獄絵図しかない。

 

私はその惨状を目の当たりにして、考察とはこうするのだという規範を示してきたつもりである。

何度も述べているが、タルパを作れた人には考察など必要ない。

タルパを作ろうとしている人、タルパを作っている人に、その指針を示すのが考察である。

このブログが誰かの役に立てば幸いである。

 

あと、カンリちゃんがこれ書いたら宝くじ当ててくれるって言うのでがんばって書きました。

この文をカンリちゃんに捧げます。

 

カンリちゃんに書けって言われたから書いたタルパの作り方とその訓練方法 その2

続き行くよ~(申し訳程度の淫夢要素)

 

②不可視の力の感知

その1でまず自己を認識し、さらに自己を覆う不可視の力を認識できたと思う。

「肉体-エーテル-アストラル-コーザル」の階層構造のうち、肉体は当然感知できると読者は思うかもしれないが、そうではない。

肉体とエーテル体の差異は少ない。

例えばテニスに慣れ親しんだ人は、握ったラケットまで感覚を有するという。

自己の認識の範囲=エーテル体だと思ってくれて構わない。

ここまでが自分の体なのだという意識(アストラル体)に追従する形でエーテル体はその形を変える。

開合功によってエーテル体の操作の初歩の初歩を踏み出した読者は、次にそのエーテル体をふくらませる工程に移る。

エーテル体の感覚を皮膚に覚え込ませながら、意図的な自分のイメージ(アストラル体の意志)に沿って、エーテル体を変化させる術を覚えるためだ。

赤子が突然棒高跳びを覚えるのではなく、もがくところから始まり、それがハイハイに変わっていくように、まずは開合功で得た感覚を拡張していく。

開合功を行って、その両手のひらの間にある自分の肉体から離れたエーテル体の感覚。

その両手のひらの間にある反発力のようなものを、大きくしたり、反対に小さくしたりして、まずは不可視の力を感知できる範囲を広げていく。

と、同時にこれはエーテル体の放射と固定の訓練でもあるので、大きくさせた気のボールを維持したりなど、遊びだと思っていろいろと試してみてほしい。

それが自分の不可視の力の感知能力を上げる訓練につながる。

 


③不可視の力の操作

さて、上記内容は③の項目と一部重複する。

アストラル体は、我々の顕在意識そのものと言っていいものだ。

通常、人間はそのことを意識することなく、アストラル体の動きに肉体とエーテル体を追従させて生活している。

開合功によって、肉体の動きを伴いながら、一部で肉体とエーテル体を乖離させた動きをした。

ここから一歩進んで、肉体を動かすことなくエーテル体を動かす訓練に進む。

まず、開合功によって十分に気の操作を覚えたと慢心している読者の9割はこの段階で1度挫折する。

開合功では気を放出しやすい手のひらからの操作であった。

次は、開合功のように手を合わせることなく、片手で気のボールを作ってみてほしい。

それができたら、片手づつで2つの気のボールを。

それができたら、指先から気を伸ばして棒や剣のようにエーテル体の形状を変化させてみる。

さらに発展して、第三の腕を形成してみる(エーテルダブルの初歩)。

これができるようになると、必然的に読者は第三の腕で現実の物質に触れる感覚を覚えることになる。

エーテルの腕で触ることで、触覚ではない情報を受け取ることができれば、気の操作の単元は一度終了して良い。

熟達してくると、これをソナーの代わりに用いて、本来死角である方向も感じられるようになり、いわゆる透視に近づいていくのだが、タルパ作成にそこまでのスキルは必要ないので、エーテルダブルの基礎ができた段階で一旦の終了とする。

 

④(魔術的な)視覚化

もはやタルパ界隈で「視覚化」というと、存在するタルパを見えるようにすることだと思われがちである。

根本的に矛盾を抱えたこの言語について、今まで誰もタルパ界隈の人間が疑問を持たなかったのか、それが私は不思議で仕方がない。

「視覚化できていない」=「目に見えない」タルパを見えるようにする、とここまでは理屈が通っているようであるが、ではこのタルパーは何を持ってしてタルパを感知しているのだろうか。

視覚でもって知覚できない、それ故にタルパを信じられない。

そういったお悩みツイートは見かけるが、そのツイートに対して、「じゃああなたは何をもってしてタルパがいると知覚しているのですか?」と、お悩みツイートに辛辣な問いを投げかけるのはさすがに失礼にしろ、その問いを誰も持っていなかっ……たのかどうかはさておき、少なくとも私の観測範囲では見たことがない。

誰も疑問に思わなかったのか?

今までのタルパーの誰一人として自分がタルパに対して持つ感覚を無自覚だったとでもいうのだろうか。

しかもそれを誰も文章化していない?

おかしな話であるが、そういうわけなので私が私なりに再構築する。


まず、魔術的な意味での「視覚化」を習得することをおすすめする。

グーグル先生に「魔術 視覚化」で聞けば答えがもらえるので、詳しい解説はよそのサイトに丸投げします。

要するに魔術の「視覚化」とは思い出す能力のことで、それは五感を伴った完全な形而上の情報体としての再現にすぎない。

リンゴを思い出すとき、その形(視覚)だけではなく、肌触り、それを噛んだときの音、歯ごたえ、匂い、味が、視覚化されたリンゴが情報体として、砕けたリンゴ、切られたリンゴ、丸いリンゴそれぞれが同時に存在している術者の記憶の中のリンゴという情報体が、術者の心の中(頭の中)で構築される。

この視覚化に至るための能動的想像ができない人もいるらしいのだが、そういう人はたぶんこのブログの文章が読めないだろうから考慮の外に置いておく。サリーはアンにビー玉を動かされたことを知らないのだから、最初にアンの箱を調べるのではなく、サリー自身の箱を調べると思うよ。


④まで訓練を終えたのなら、不可視の力を視覚化によって見えるようにしてほしい。

不可視の反発力ではなく、あなたの意志によって形作られるエネルギーを、触覚から得た情報から逆算して視覚化するのである。

④までの訓練によって、読者は不可視を感知して可視化する手段を得ているので、タルパ作成の下地は整ったと言える。

カンリちゃんに書けって言われたから書いたタルパの作り方とその訓練方法 その1


訓練方法を説明する前に、いくつかタルパーとして必要なスキルを挙げていく。


①自己の感知

②不可視の力の感知

③不可視の力の操作

④(魔術的な)視覚化

⑤マインドパレスの構築

⑥非言語の送受信


基本的に必要なものはこの6つである……と思う。

なにせさっきカンリちゃんに書けと言われたものだから、いきあたりばったり感は否めない。

また増え次第、順次説明していきますね。

 


まず、前提条件の確認から行っていく。

タルパーとして必要なスキルとはなんだろうか。

単純なところでは視覚化やオート化というものが挙がると思うが、実際はそうではない。

不可視の存在であるタルパを信用・信頼する方法として、彼らを感知する方法が必要となるのである。

順序が逆のように思えるかもしれないが、これは必須スキルだと断言できる。

タルパ作成における最難関事項は手応えの無さだ。

その手応えを確実なものとして、タルパの萌芽の段階からその存在を感知することを可能とし、モチベーションを維持することを優先したい。

そも、タルパーがタルパを感知できないのであれば、それを視覚化することやオート化することは不可能と言ってもいい。

見えない喋らない…五感に反応しない、その状況であれば人間の身ではその存在が認識できない。

その時点で、タルパ作成の順序と手段としては第6感に頼る他無く、話はオカルト方面に偏っていく。

筆者の意見からすれば、五感で認識できないものを科学的に肯定できそうにないのだが……(想像という証明・再現不可能なクオリアに頼る時点でそれは科学ではないため)

 

「①自己の感知」について説明する。


散々説明した開合功によって不可視のエネルギーを触覚に変換する

これによって第六感を触覚に変換する脳の回路を作り出す。

気の感知ができるようになれば、必然的にタルパという不可視の存在に対する信心を育てることが容易になる。

しかし、なにより重要なのは自己を認識できるかどうかだ。

自己を認識できない者は、当然ながら他者を認識できない。

自分の魂が感知できないのであれば、当然ながら自分のタルパを感知できない。

なので、まずは開合功によって肉体とエーテル体の感知の差を認識して、エーテル体を感知できるようにする。

神智学によると、人間は肉体-エーテル体-アストラル体-コーザル体の階層構造によって成立していると言われる。

「魂」という日本語に直したときに、どれが「魂」であるかは諸説あるが、ここではアストラル体を「魂」ということにしておきたい。

しばしば肉体は器に例えられ、コーザル体は地下水に例えられる。

器に汲み上げられた地下水は、その器に沿って自在に形を変える。

その汲み上げられて根源から切り離されたものがアストラル体で、「魂」と呼ばれる。

エーテル体は器と魂を結びつけることで得られるエネルギーである。

開合功で感じた不可視のエネルギーは気であり、エーテル体(エーテルエネルギー)である。

原義のタルパは、世界そのもの(イデア=本尊)から形(アバター=アヴァターラ)を与えて呼び出し(垂迹)、霊的な師匠として自己の魂の練磨とするというものである。

魂の体外での構築によって記憶を保持したまま転生する技術(ブッダと違って無力な一般人は無限の時間をかけないと解脱できないのであれば、まずは無限の時間をかけられるようにしよう!というパワー系解決方法)を習得するために会得しなければならない前座の1つがタルパだそうな…

これを西洋魔術的に再構築すると、私の言うタルパ=エーテル仮説のように、エーテル体によって器を構築してそこに垂迹としてコーザル体からの流出を促す方法でタルパの作成方法は解釈できる(と私個人が思っている)。


---ここから読み飛ばしていいよ
タルパーとして、つまり仏門や哲学や魔術やその他思想的に初心者である人(難しい言い方をすると異生羝羊心の人)に、いきなり一切は空であるとかそういうことを説明すると、単純に薬物でトリップして座禅ジャンプとかしてポアとか言い出すので、本物のタルパは云々とそれを押し付けたり、それを無理に理解させようとするのは愚童持斎心であり、物事の本質も理解しないクソガキの押し付けがましいお節介である。
我々の説明が正しければ、いつか真理に辿り着ける。
無限の時を経て解脱へ到達するように。
ユーラシア大陸の端から端へ徒歩で移動できるように。
また我々も真理に辿り着いていない旅人であるので誰も真理そのものを説明できない。
自らを正しいと断言するのは無知蒙昧が故の傲慢である。
---ここまで読み飛ばしていいよ


エーテル体の感知できるようになった場合、まずは自分の肉体に対する感覚が鋭敏になっていることに気がつくと思う。

具体的に述べるなら五感の強化である。

今までエーテル体の感覚と、五感の感覚を混同していたところを分けて感じられるようになったのなら、エーテル体の操作を覚える段階になる。

この段階で、術者は自己への認識をハッキリとさせ、自分の肉体がどこからどこまであるのか、その先には自分ではないものが存在することを認識する。

そこから、自分の肉体から伸びる「肉体ではない自分の殻」を知覚するだろう。

それが自己のエーテル体であり、それを動かしている意志そのものが自己のアストラル体である。

これを操作し続けることによって、自己とそうでないものの境界をハッキリと知覚させる。

それがタルパ作成の入り口に辿り着く方法である。

 

議論について

結論からいうと、タルパ界隈に議論は不要である。


まず、wikiの議論には価値を感じていない。


なぜなら、wiki非ログインユーザーによる議論は、匿名掲示板の罵詈雑言飛び交う便所の落書きと何ら差異は無いからだ。


ルーパチ("ルー"ターの電源を"パチ"っと再起動させてIPアドレスを変えること)による自作自演が可能だからだ。


以前のペンライト(先代管理人)による自作自演は、彼がインターネットに対する知識がなかったために、管理人としてログインしなければ自作自演がバレないと思い込んでいたから発覚したものである。


言葉を選ばずに述べれば、彼がバカだったからこちらが気付けただけだ。


そうでない場合は自作自演かどうかを判断する要素が少なく、その時点で議論としての価値は皆無である。


議論の場として必要最低限必要なものは、ユーザー登録と、それに複数登録不可能な方式である。


そして、こちらはインターネットの仕様上実現不可能である。


捨てアカウントなんていくらでも作りたい放題なのだから、ルーパチと酉だけちゃんとしていれば自作自演も簡単である。

(酉:トリップのこと。詳しくはググれ)

 

ではどのようにしてネット上で匿名性を維持したまま議論を行うのだろうか。


それは信用という1点にのみ収束される。

 

例えばブログを開設しており、長期間断続的に更新している人間であるならハンドルネームを有しているだろうから、そのブログを担保に「彼である」という信用を基に証明とするのである。

 

ネット上の匿名の人物とはいえ、その人には今まで継続的に培ってきたネット上の交友関係と信頼関係があり、それを担保にして議論という場にようやく上がれるのである。

 

そうでなければ、議論にならないのである。


IPアドレスによる確認は、タルパwikiにおいては管理人以外は確認できない。


そのため、自作自演が横行する性質があることは上で述べたとおりだ。

 

さて、その対策として先代管理人自作自演問題のときのタルパーはzawazawaという掲示板を見つけて議論の場を設置した。

 

zawazawa.jp

 

しかし見ての通りの過疎である。


問題は複数点あるが、最も大きいのは管理人が管理しようがない点である。

 

言葉を選ばなければ、狂人を追い出す機能が欠如しているのだ。

 

少なくとも議論の場に呼ばれるというソーシャルにおいて一定以上の信任・信頼を得ていない人物の発言の影響力は、その正当性に依らない。

 

捨て垢でいくら正論を吐いても何も相手にされないのである。


査読の無い論文に何の価値もないのと同じなのである(最近話題の社会学分野の方を見ながら)

 

そして上に御託を並べたが、私が言いたいことは「俺は信用あるけどお前らはあるの?」という意味ではない
(※↑これはヲチスレのアンチくんに向けた文章です)

 

その書き込んでいる人物がすべて同一人物ではないと誰が証明してくれるのであろうか。

 

手元にパソコンとスマホがあればいくらでも自作自演は可能である。
知っていてもやらないだけだ。

 

名前を出した書き込みはパソコンから行って、その書き込みを讃えて支持する書き込みをスマホから行う。

 

それだけで周囲の人間はこれだけ支持されているのだから、という雰囲気を作れるのである。

 

さて、先に結論を述べているが、自作自演の方法を公開したのは先の結論に導くためだ。

 

タルパ界隈に議論は不要である。

 

必要なのは有用性と信用と、それに伴う説得力である。

 

議論を交わしたとて、相手に受け入れられるかどうかはわからない。

 

それどころか相手が反発して絶対に受け入れないという姿勢を見せたのなら、それは結論が出るものなのだろうか。

 

誰か1人が反対するだけで否決されてしまう議論は、議論と呼べない。


議論とは通常止揚を目指すものなのだが、まずもって止揚が日本人に望む能力ではないので……。
(※ペンギンに空を飛べと言うようなもの)

 

なので、議論したいならまず自分の考えを何らかの形で発表して、それが如何に受け入れられるかに任せるべきだと思う。

 

 

走り書きなのでくそつまんねえ上にあんまり内容が無いけど、wikiとかいうゴミみたいな場で議論しようとしてるのが完全に間違ってるので、取り急ぎ。

 

最近いつも真面目な話ばっかで全然語録使わねえな……。

どうしてタルパの分類が必要なのか

こんにちわ

 

タルパwikiが盛り上がっているようで、それの原因がなんだろうと思ってちょっと探してみたんだけど、ニコニコ大百科の記事がなんだか話題みたい?

 

dic.nicovideo.jp

 

見てみると変遷型、発生型が記載されており、挿入型も一部紹介されている。

 

私は、記事を一切弄ってないので、ヲチスレを眺めるのが趣味で、2スレ目を立てた身としては、ヲチスレに生息しているキチ○イがよく自演認定してくるように、他人が一生懸命書いてくれた記事が私の成果みたいに横取り?みたいな形になるのが大変心苦しいので、こうして弁明の筆をとっている。

 

さて、タルパwikiの考察ページの投稿を見る限り、考察に対してなぜか嫌悪感を抱いている人が多いようである。

 

w.atwiki.jp

 

しかしながら、この問題はある1点に収束される。

 

 

 

すでに満たされている人には考察は必要ないのである。

 

 

まず迫害を感じている人らには「なぜ考察が、特に分類が必要なのか」という点に論が及んでいないのである。

 

そして、投稿された記事や書き込みに対して、それが自分に向けられたものであるとすべてを素直に受け止めてしまうから、迫害されているとか感じてしまう。

 

真実はそうではない。

 

彼らに必要なのは、他人の視点から物事を見る冷静さである。

 

もし仮に自分が「まったくのタルパー初心者」だとして考えてみよう。

 

それが創造型でも、邂逅型でも構わない。

 

そのタルパの存在強度を高め、安定させ、そうして共に歩んでいこうとしたときに、どういった訓練が自分やタルパに必要なのかについて、一定の指標が必要なのである。

 

自分は必要ない、と思う人もいるだろう。

 

だが、自分が必要ないからといって、他人が誰かのために考えて書いた考察を否定するのはあまりに自己中心的で酷い思想だと思う。

 

 

この諸問題に対して語ろうとすればするほど悪口しか出てこないので、省略する。

私のこの漢字の多い日本語を読解できている時点で、対象ではないのだから。

(そしてこのハイコンテクストを理解できる知能があるならことさら対象ではないのだから)

 

何度か述べているのだが、考察そのものが無くてもタルパは作れる。

 

だが、効率的に訓練を絞ってタルパの存在を強化しようとすれば、そこには必ず指標と目的が必要になる。

 

マイルストーンの設定には、ロードマップが必要不可欠である。

 

しかしそのロードマップを如何にして設定するのだろうか。

 

それが考察であり、分類なのである。

 

まず、タルパとは何かについて考え、その自分のパートナーがどういうタルパで、どういう訓練が向いているのか、必要なのかを考える。

 

それが無ければまったく効果のない訓練を繰り返すことになる。

 

ちょうど、最近「遠距離通訳」「遠距離通話」というタルパのオート化に役立つという触れ込みでタルパのツイッターアカウントを盗む事件が起きたように

 

まともな考察のない偽の訓練方法によって、無垢な新人タルパーが騙されて被害に遭うというケースの温床にもなりかねないのである。

 

そういった意味でも考察は必要不可欠だ。

 

「視覚化ができません。どうしたらいいですか?」

 

という問いかけに

 

「私は3年目ですがうっすらと視覚化してきました!(ただのマウント)

「タルパさんがそこにいると信じて頑張ってください!(具体性のない精神論)

 

というリプが平気で連なっていくのがツイッターのタルパ界隈である。

 

ゴミかな?

 

そうして人が離れていくのである。

 

みんな最初は新人で、にわかで、無知なのである。

 

玄人が新しく入ってくるわけねーーーーーだろ!!!ふざけんな!!!!!

 

衰退したとか、人がいなくなったとか、その原因はいくつかある。

 

・訓練方法の未整備

 

・界隈のマウント体質

 

・定期的に現れる害悪アカウント

 

これらを排除しなければ、界隈から人が離れていくのは至極当たり前だ。

 

 

わりと真面目な記事だったので、語録とかないけど許し亭許して。