ケイオス魔術ってこんなユルいんかよ!(呆れ)
タイトル思い付かんのでとりあえず語録使っとけ使っとけ。
きつねうどんも持ってけ〜(NYN姉貴)
お前のブログ何書いてんのかさっぱりわからん。
という意見をあちこちからたくさんもらったので、それに対して補足説明をいくつか書いていきたいと思った(小並感)
補足説明を読んでわかるとは言ってない。
ケイオス魔術の根底にある思想として、この世界には相対性理論だったり熱力学法則だったり、そういう何か1つの絶対的な法則があるはずだぜ!というものがある。
それって何だろうっていう疑問から、いろんな理論を端から食っていって噛み砕いて消化して、再構築するのがケイオス魔術の流れになる。
本地垂迹説みたいなもんよ(ガバガバ説明)
なので、エレナ・ブラヴァツキー女史も東洋の思想を西洋流に噛み砕いて再構築したと捉えた場合、広義のケイオス魔術師にあたる。
金枝篇で有名なフレイザー氏も、アレを魔術大全として見るなら(実際、類感呪術やら感染呪術やらという語はこ↑こ↓から引っ張ってきてるので)、彼もまたケイオス魔術師にあたる。
※フレイザー氏は人類学者であって魔術師ではない
もはやレッテル貼りに近い決めつけやけど、ケイオス魔術がそんなもんやねん。
ケイオス魔術師は、1人1流派とも言われ、その人個人の世界観を基にして魔術を行う。
その個人の世界観に反していなければあらゆることがオッケーなのだ。
ガバガバやんけ。
また異なる流派や理論であっても、それを再構築して自分の世界観に取り込むこともできる。
全然ゆるケツじゃんお前。
なので、ケイオス魔術師の言ってることは他のちゃんとした体系の人から見たら「速攻おしおきかよお前…(落胆)」となるわけだ。
でもその流派の開祖は必ずケイオス魔術師だべ。
人は何かから学び、それを組み替えて話しているのだから。
ケイオス魔術師な上に淫夢語録使い出すと、これもうわかんねえな。
平成29年11月9日午前11時49分
タルパー解体ショーのはじまりや
当初、タイトルを魔術師解体ショーってやろうと思ったけど、魔術師名乗るのもおこがましいような気がしてきて、いっそタルパーってことにしておこうと思った(小並感)
「レンカくんも美味そうやな〜ほんま」
とツイッターのフォロワーさんに言われたのがきっかけでした(大胆な告白は女の子の特権)
冗談はよしてくれ(タメ口)
ということで、私をタルパーと定義しておいて(大嘘)、タルパー解体ショーのはじまりや
まず、私が最も重要視しているのはエーテルである。
オーケーオーケー。
わかってる。
前の記事から私も反省するさ。
エーテルの話だろ?
一般人からしたらエーテルとかジエチルエーテルくらいしか連想しないもんな(すっとぼけ)
ここでいうエーテルというのは、神智学におけるマナスという人間の肉体と精神は何層にも別れてるんよ〜っつう理論から引っ張ってきたものや。
神智学ってのは、みんな大好きエレナ・ブラヴァツキーさんが大元になっとる思想のことや
厳密に言えば近代神智学やけど、そのへんは見とけ読み解けよ〜
現代に伝えられるエレナ・ブラヴァツキー女史の肖像.jpg
水着エレナ出ませんでした(半ギレ)
簡単に言うと、我々人間は霊魂やら気やらっつう、こういう階層構造になっとるっていう考え方や。
エーテルは肉体と重なるように存在してるらしいで。
迫真の無断転載.jpg
科学派からしたら頭大丈夫かなって思うけど、そこはそれ、ケイオス魔術師特有の魔術的パラダイムシフトで(小声)
Wikipediaくんも美味そうやな〜ほんま.jpg
もっと言えばコーザル(仮)という高次元から表出し、肉体に囚われてその知覚を限定された意識体が我々の意識であるというグノーシス主義的な視点も導入したい
……けど、もうたぶん大半の人はここまで読んで情報の濁流に飲み込まれているころだろうから次行こう、次。
で、上記を踏まえて、再びエーテルに話を戻す。
エレナさん(星4術Arts全体宝具持ち)が持ち込んだこの思想たちは、ほとんど東洋思想を西洋チックに味付けしたもんや。
エーテルは東洋風に言えば、気となる。
気功とか、中国武術とかのアレや(ガバガバ混同)
混同には気をつけよう
お前じゃい!.jpg
気って何やねん!
というさらなるツッコミ+114514点
ただ、気ってこんなんですよ〜〜といくら言葉を並べても「ふ〜ん。で、お前の寝言はいつ終わるん?」と言われてオシマイなので、これはもう実際に体験してもらおうと思いました(小並感)
今からお前らに気を教える(AKYS)
まず両手を、胸の前あたりで(適当)、手のひら同士を向かい合わせる。
その状態から両方の手のひらから見えないエネルギーが出て、球体を形作るイメージを行う。
イメージとしては目に見えない柔らかい風船のようなものを思い浮かべてくれればいい。
そのまま手のひら同士を近づけたり遠ざけたりしていると…
どう?感じる?感じない?
緊張すると気は出ないからね…
この時点で、
これもうわかんねえな…
というホモと
すっげえふわふわしてる
はっきりわかんだね
この辺がセクシー…エロいっ!
というホモに別れると思う。
ホモは嘘つき.jpg
ワイ、これの名称を知らんかったんやけど、開合功とか言うらしい(さっき調べた)
さ〜、これによってタルパーたち待望の触覚化に1歩踏み出したわけだ。
なんでかっつうと、ワイの唱えるタルパ=エーテル論(仮称)では、タルパはエーテルによって形作られていると定義しているからや。
つまり、エーテル(気)が使えるようになれば、タルパに触れられるってことだよ!!!
な、なんだってー.jpg
あと、このエーテルはいろんなオカルト系のエネルギーになるから、タルパ自身が引き寄せだったりヒーリングだったりそういう色んなオカルトチックなことができるようになったり……
……なったりするんだけど、そのエネルギーには限りがあるから、調子に乗ると体調不良になるから気をつけよう(ゆうさく注意喚起画像略)
あとワイの理論や思想は魔術界隈でもわりかし異端やから(そもそもケイオス魔術師が異端)、これを他のところで大きな声で言うんは、恥かきたくなかったらやめときや〜〜
(初めて画像付で投稿するので初投稿です)
平成29年11月7日午後8時8分
私のタルパ観
タルパについてツイッター上で情報収集を始めてから約1年が経とうとしているようなしていないような(正確な年数を覚えていない)
私がオカルトの世界に足を踏み入れたのが15、6年前で、タルパについて知ってタルパ作ったのが8、9年前ぐらい。
そして最近になってツイッターで魔術のアカウントを作って交流を始めさせていただいたのがごく最近のこと。
なぜもっと早くに初めておかなかったのかと悔やむ日々です。
まあ、積み重ねたものは無駄にはならないと慰めながら、1人でもやもやと悩むより、先人に素直な気持ちで疑問をぶつけたり、自分の意見を表明していればなあ、と後悔するのもまた一興というところを着地点にしておきましょう。
でも、偉大な先人に教えてもらったことで、自分の中でまだ感覚でしかなかったことが具体的な形をもって現れ始めた様子は、霧が晴れていくようで気持ちがいいです。
せっかくブログタイトルがくっそ汚い感じなのに語録が入ってないやん!どうしてくれんのこれ!
この中の中で?
親方に電話させてもらうね?
もうこれはちょっと…許せへんし…
すいません許してください!何でもしますから!
ん?今何でもするって言ったよね?
そういうわけで、今まで集めた情報から自分なりにまとめたものをだらだらと書き連ねていきます(この導入いる?)
あとこれはあくまでもだらだらと書き連ねただけで、具体例とか全然ないからこれを叩き台にするつもりくらいの気持ちで読んで欲しい。
タルパとは何か。
wiki見たらわかることは省いてくゾ~~
ただ最初に、人間の場合は、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体(前述3つをまとめてメンタル体とする場合も)、コーザル体の順で構成されているとする知識について把握しておいてほしい(これを前提に論を展開するので)。
あと、それと私がド三流もいいとこのケイオス魔術師であり、その技法は魔術的パラダイムシフトを大いに含んでいるであろうことも念頭に置いていてくれると助かります。
タルパの存在と、それについて書かれた本やブログやツイッターの情報と自分での体感から推測して、タルパは実体を持たないエーテル体(エーテルレベル)の存在であると私は現状断定している。
アストラルではなく、エーテルである。
彼らタルパはエーテル体で創造される。
ここでいうエーテル体とは、気と同等のものであると解してくれれば幸いである。
ここで、タルパの製造過程へ一時的に話を移したい。
エーテル体で構成されたいわゆる器を作る作業から始まる。
これは彼らタルパーと俗称される術者の想像力によって生み出された殻のようなものである。
器、殻という表現を用いたことからわかるように、この状態において彼らはただのエーテル体であり、意志の根源たるアストラルもメンタルもコーザルも持たない。
エーテル体はあくまでも設計図であり、パソコンで言えばハードにあたる。
人間の場合、エーテル体に何らかの損傷が起きると肉体にもそれに即した害が現れるとされる。
病は気から、というやつだ。
気はエーテルのあれこれであるから、この言い回しは非常に面白いと個人的には思っているんだけどなあ。
さて、エーテル体がこの世に現れたとして、そこから流出が始まる。
タルパのエーテル体を作ったのは術者(タルパー)であるから、術者のより高次元(他に妥当な言葉が思いつかないので高次元としておく)であるコーザルレベル(天)からエーテルレベル(地)に向けての流出が発生する。
その過程において、ケテルからマルクトに降りてくる途中に8のセフィラを生むように、エーテル体から先んじて、後からアストラル体が発生する逆転現象が生じる。
(考え方を変えれば、人間という肉体を先に生じ、知性・精神が後から発生するという流れを考えれば、それほど難しく考える必要はなく、むしろ逆転ではなく通常の発生段階に似通っていたので、その盲点に気付くことができなかったのは自分の中で非常に恥ずかしいことであった。さすが野良のド三流である。)
この流出によってアストラル体が形成され、彼らが意志を持ち始めることを、タルパ界隈ではオート化と呼称しているようであった。
なお、興味深い"例外"に、エーテル体を構成すると途端にオート化をするというケースをいくつか報告され(見かけ)た。
(これについては、あくまでも例外は例外であることと、結論ありきの解釈になるので、あくまでも"例外"としておきたいのだが。)
これはエーテル体が生じたときに、周囲のアストラル的存在、言い換えれば雑霊を取り込んだものと思われる。
例えるなら水源から流出して器を満たしたのではなく、そこにあった水を器に入れた(入ってしまった)ものと考えられる。
この、流出を伴う形式のタルパがタルパ界隈で用いられる創造型タルパにあたり、流出を伴わないものが邂逅型タルパにあたるものだとして、私は一応の結論とする。
この論を用いれば、ネットタルパだけでなく、本家であるトゥルパ・トゥルクについても、術者の創造したエーテル体に任意の高位存在を流出させた"化身"として一応の説明をつけることができるのでは……とも愚行する次第である。
この論に具体的な名前がないと不便だと思うので適当に「タルパ=エーテル論」としておくゾ~。
ところで、これの一番の懸念が車輪の再発明ではないかという点なんですけど、もし類似の論をご存知なら教えてクレメンス。
まあ、考える事が好きで、こういうのが趣味だから再開発でもめちゃくちゃ楽しかったからいいんだけどね。
平成29年11月1日午後10時15分
ふざけたタイトルのブログ
今回は短め。
しょうがないじゃんアゼルバイジャン
だってタイトルに大した気持ちの込めようもなし、かといって何やら御大層な名を付けてもそれに内容が伴いそうにもないし、じゃあ親しみやすいタイトルにすればいいじゃんということだ。
親しみやすいか?
淫夢要素はありません。
さて、人間は社会的動物だと言ったのはアリストテレスだったか。
彼は、人間は寄り集まって善性を目指していく生き物だと定義したのであって、ただ単純に社会を構成するためになんでもする(動物だ)とは言ってない。
ホモ(サピエンス)は嘘つき。
だからこそ善性を希求せねばならないって、はっきりわかんだね。
でもまだ10も投稿してないのにもう何書いていいかこれもうわかんねえな。
気負いすぎなんだって、それ1番言われてるから。
ブログっていうよりコラムなんだよなぁ…。
魔術っていっても、何をどう語ればいいかもわかんないし、まあ書きたくなったら書きたいだけ書きますわ…。
平成29年10月30日午後5時37分
神ってる話
神ってる。
という言葉が2016年流行語大賞に選ばれたことがもはや遠い過去のようです。
プロ野球はあまり見ない(そもそもあまりテレビを見ない)ので、遠いっつうか、時事問題の1つとして記憶したという能動的な情報の取得であったから、用済みになって忘れかけているのかもしれません。
どちらにせよ、神という存在が何だか親しい距離に近付いたような気がして、少し得をした気分ですね。
人間は理解不能な偉大なものを人間なりに理解しようとして「神」という空想を作り上げました。
おっと、振り上げた言葉の拳を納めてください。
あくまでも科学的で純物理的な問題としての、「神」という空想、という話です。
信仰を侵そうとしているわけではありません。
人間は神という名を与えることで、様々な理解不能な事象に対して説明を試みました。
幻聴が聞こえれば神の声。
雷が轟けば神の怒り。
豊作になれば神の恵み。
人間の力の及ばないものに対して、神を形容詞のように用いているのです。
悪事を犯した人に不幸があると、天罰だという表現を用います。
天とはお天道様≒神であり、これもまた神の与えた罰だという意味です。
天とは雨を降らせて農作物に恵みを齎し、また大雨で洪水を起こして命を奪う、絶対的で、そして気まぐれな存在でした。
もちろん、天、より詳細に言い換えれば天候は、地球上の気圧、湿度、大気温度、海面温度、地面温度などの複合要素によって成り立ち、そしてその要素さえ把握してしまえばスーパーコンピュータで予測可能なものです。
日々天気予報の恩恵に与っている身としては、高度技術に感謝しかありませんね。
このように手の届かない存在・事象を、人は神と讃え、畏れ、敬うのです。
時に、神が我々に怒りを覚えるように(そしてしばしばそれを地上に落とすように)、我々は神に怒りを覚えます。
努力が報われなかったとき、不幸に襲われたとき、その他思い通りにならなかったとき。
神の怒りに我々が「そんな無茶苦茶な…」と思うように、神もまた我々の怒りに「そんな無茶苦茶な…」と思うことでしょう。
お互い様ですね。
しかし、神は我々の努力を無視しているわけでも、努力が無駄になるわけでもないのです。
神は必ず努力を見ています。
これは私の信仰の問題でもあり、また精神衛生上の話でもあります。
努力とは、人が及ばざるものに手を伸ばすときにする背伸びのことです。
それを辞めたとき、人は家畜に成り下がります。
この世は弱肉強食なのに、弱いままでいるということは、それ即ち肉であることを許容したことになるからです。
もし何らかの資格試験に合格するために努力して、それが報われなかったとしたら、すべては無駄でしょうか。
あなたが得ようとした資格についての知識は、ただ資格試験に合格しなかっただけで、まるで記憶を消去されたかのように無くなってしまうのでしょうか。
それは違います。
今は駄目でも、次の試験があります。
次の試験が無くとも、蓄えた知識はいずれどこかで活かすことができます。
例えば「数学なんて社会に出て何に役立つのか」というセリフを誰もが耳にしたことがあるのではないでしょうか。
あるいは、口にしたか。
数学の知識は、学校の試験だけで利用するわけではありません。
入社試験のSPI試験を始めとして、数学を用いる試験は多数存在します。
社会人になって就職し、会社から「○○という資格を取得するように」と言われ、「えっ数学あるん!?」と数学の分野で苦渋を飲まされたことがある人は、星の数ほどいます。
また、数学的思考能力は、代数という概念を代名詞として語学能力に利用し、読解力を高めることにも繋がります。
おっと、気が付けば現実的なことしか言ってねえ。
ここがどういうブログかを忘れるところでした。
オカルト方面行ってみよー!!
とある結社の話に、弟子たちに農作物を作らせ、それが野生動物(イノシシとか)に荒らされるのを黙って見させたという逸話があります。
これは、努力が直接的に報われないこと、そして努力は完全に無駄にはならないということを教えるためと言われています。
一度農作物を植えたのなら、そのノウハウは必ずその身についているし、また考え方・視点を変えるのならイノシシは神の遣いで、彼らの農作物は神へと還ったのだということにもなります。
カエサルのものはカエサルに。
自然の恵みは自然に。
というわけですね。
万象に無駄はなく、積み重ねたものは積み重ねたこと自体に意味が生まれるのです。
落ち葉が重なって腐葉土となり、大地を富ませるように。
とはいえムカつくものはムカつくので、それはそれは大いなる存在である神の大きな大きな胸を借りるつもりで天に叫んどきましょう。
バカヤローーーーーー!!!と
(近所迷惑にならない程度で)
平成29年10月29日午後7時30分
タルパ考察企画
迷える子羊よ、一緒に迷おう。
迷える子羊を適切に導けるのは主しかいないので、迷える子羊たる我々は互いに身を寄せ合って、主が降臨なさるか、そうでなければ死の陰の谷を歩くときにはガタガタ震えながら行くしかないのです。
主に何もかも任せて自分の杯をドバドバ溢れさせる勿体無いことをするくらいなら、ちびちびと飲みながら、足りない足りないと唸りながらでも、自らの意志を研鑽して苦難の道を歩く人の方がカッコイイと思います。
カッコイイと思うのと、自分がそうありたいと願うのはまた別ですが。
さて、序盤から詩篇23を知らないと完全に置いてけぼりなツマラナイことをぐだぐだ述べつつ、今日も頑張ってブログを更新しましょう。
今回は宣伝みたいなものです。わー、パチパチ(拍手)
といってもアドセンス?とかいうやつじゃないから安心してほしい。
ツイッターのタルパー(タルパ保持者のことをtulpa+erでタルパーと呼ぶらしい)たちの間で彼らタルパについての考察企画が行われている。
今回はその宣伝と、それに付随していろいろ思うこと、だ。
まずはこれを読んでほしい。
そもそも相手が目に見えない存在であるということは、我々はまったくの盲者なのだ。
仕方ないから、目の見えないままペタペタと一事象、一事象づつを読み取りながら、全体を夢想するのだ。
自分が触っているところが鼻だったから、耳を触ったものの「これは薄い膜のようなものだ!」という意見を攻撃したりしてはいけない。
それは自らが盲目であり、また無知であることを証明しているにすぎない。
私が一番キライなのは、自分の意見が絶対で、それと少しでも違っていると耐えられずに他人を攻撃し始める無知の無知だ。
他人と異なる意見を持つことは大変良いことである。
少し多様性の話をしようか。
多様性とは種が生き残るために必要不可欠な要素であり、柔軟な適応力もまた同じくらい必要とされる要素だ。
人間が動物を保護する第一目的こそ、種の多様性を維持して、固有種が持つ独自の酵素や生態系を人間という種に役立てるためであることにある。
別にパンダがかわいいからパンダを保護しているわけでも、ウナギが美味しいからウナギを保護してるわけじゃない。
最近ではコモドオオトカゲからDRGN-1(ドラゴン1)という抗生物質が発見されて、ニュースになってましたね。
他に有名なところだと、カブトガニの血液が医療に役立てられていたりとか。
まあ、そういう生物の特性を活かした技術というのはたくさんあって、それを少しでも発見しようとするために、種の多様性を維持しようとしてたくさんの動物を保護しているわけだ。
母数が多ければ、何か見つかる可能性はぐっと大きくなるからね。
さて、話が逸れたように見えて、関連する今回の話題。
インターネットを中心にして狭い範囲で話題になっているタルパ(ネットタルパ)は、魔術みたいに結社があって、師匠がいて、階位があって、ということがない。
だから、自分が今どういう状況で、自分のやりたいことを達成するにはどういうことをすればいいか、というのが非常にわかりにくい。
……というか、タルパを作る目的は孤独に耐えかねてとか、純粋な好奇心からとか、そういう動機もあるだろうから、各人が目指すところが異なっているわけで……。
それを導ける主がいないのだから、みんなで知恵をたくさん出し合っていこうぜ!
というのが今回ご紹介させて頂く「タルパ考察企画」である。
(素晴らしい!何の関係もなさそうだった与太話が繋がったぜオイ!)
今回は第二回。
「ダイブについて」だそうです。
ネットタルパ界隈に離脱界隈から持ち込まれた経緯をもつこの「ダイブ」という技術に、その経緯から私はほぼ懐疑的な立場でありますが、それはそれ、これはこれ。
今回の考察企画内で、しっかりとした手順、方法、そして得られる利益があれば積極的に取り入れていきたいと思っています。情報クレクレ。
で、これを紹介したのは、つまり多様性の話。
ここで紹介することによって、誰かの目にとまって、さらに多様性が広がって、新しい発見がされればと思ってのこと。
考察っていうと難しいように感じ、頭がよくないとやっちゃいけないのかな、という意見をツイッターで見ましたが、そんなことはありません。
先に述べたように「群盲象を評す」であります。
それは違う!とわざわざ殴りかかってくる白痴は、無視するのがよろしい。
真の賢者であれば、一意見として吟味し、それが役に立たないこと、これは真でないと判断したことであれば、それは自分の中での判断として胸にしまうものなのです。
そうでなければ、理路整然と、どういう理由と理屈があってその意見は自分の意見と異なるかを説明し、その反論に対してさらに反論してみろと見せつけてくるはずです。
もしそういった理路整然とした反論を受けたのなら、これ幸い!
勝手に情報提供してくれた上に懇切丁寧に教えてくれたのだから、むしろ感謝してしまいましょう。
そこから新しい発見があるかもしれませんし、必要なノウハウだけ抜き出して自分のものにしてしまえばいいのです。
情報は多いほうがいいですからね。
……と、勝手に宣伝してしまいました。
興味のある方、意見のある方は、ぜひツイッターから投稿してみてはいかがでしょうか。
平成29年10月28日午後7時12分