迫真魔術部!タルパの裏技!

淫夢要素はありません

タルパについての考察(やや真面目)

正月からタルパ考察なんていう不健全な行為に時間を費やしてみる。

考察というより、もう自分の中のタルパ観についての整理なのだけど。

 

  • タルパとは。

 

チベット仏教の中でも密教の~~~というものはもう置いておく。

 

なぜなら、オカルト方面から「タルパとは純粋無垢な思念体を新たに生成して、この世に生み出す行為であり、それは無責任に不死の存在を作り出して最終的には放逐する行為だからだ」とか意味不明なことを言っているのを見かけてしまったからだ。

 

そもそも論として、我々人類の肉体に宿っている魂もすなわち質量を持たない純粋思念体であり、レテの川の水をたらふく飲んで前世を忘れて輪廻転生を繰り返している原罪に苛まれている存在であるのだが、その発言者はそのことを都合よく忘却しているようだったのが気になるけど。

 

どちらかというと自分は、集合的無意識と我々の魂は不可分であり、祖霊より表出した1ペルソナであるという論のほうが受け入れやすいのだけど、それはもう個人の好みになるのではないだろうか。

 

だってそんなアカシックレコードじみた祖霊とか集合的無意識とかガイアとかを感じられたとしても、この肉体のいる形而下に何かしらの物的証拠として精製できるわけではないからだ。

 

今流行りのfateの設定の中に第三魔法というものがあって、魂の物質化ができるとかいう設定らしい。


魂というものが本当にあるのかどうか、という点には多数の疑問点があるのだが、それを有無を言わせず、物的証拠をポンと出してしまうというのは非常に恐ろしい。

 

というのも、それすなわち今次元における生の意味の希薄化を招きかねないので、勘弁してもらいたいところである……。

 

おそらく、大半の読者には伝わらないので解説すると(……嗚呼、自分の言を解説しなければならない億劫さよ……)、魂があるということは、肉体とは別の次元の存在を示唆するものであり、輪廻転生が正しいということを指す。

 

すなわち、今次元に置いて生が苦であるならば、その魂さえ不滅であるのなら容易に死が選択肢として現実味を帯びてくるのだ。

 

要するに、今世を頑張るより、来世ガチャ引いたほうが早い、ということ。

 


閑話休題

 

私は超存在(≒神)を信じているし、私を始めとする諸存在は深い根本で繋がっていると信じている。

 

考察をそこから展開するのであるからして、タルパもまた根源より出た存在の1つであると私は考える。

 

そもそものトゥルパの存在定義からして、仏性、もしくはその他の性質の化現であるというものであるから、何らかの存在根拠を有していることに関しては、ほとんど議論の余地はないと思っている。

 

さらに言及するなら、観測者が人類の主観に限定されるのだから、その存在は間違いなく観測者を基点としたものなのである。

 

上記の点からして、私はタルパを通常の人類の魂とほとんど変わらないものであると定義したい。

 

以降の論は、これに基づいて展開される。

 

  • タルパの作り方


タルパの生成方法は、「タルパは人類の魂とほとんど同じものである」と言ったのであるから、その手段は人類の誕生と魂の形成である。

 

つまり、魂が宿る器を生成し、そこへ根源からの流出が起きて、存在の1つとして確立されるのである。

 

私はこの論があるから、タルパ=エーテル仮説を以前に訴えたのである。

 

なぜ私がエーテルという呼称を用いたのかというと、エーテルは肉体と重なって存在する不可視のエネルギーであり、最も低次な霊的エネルギー存在であるからである(※)。

 

(※
コーザル(諸根源)

アストラル(魂)

エーテル(霊的エネルギー)

肉体(物質的根拠)
の順で我々が存在すると定義する場合)

 

我々の魂は肉体に宿るが、肉体が稼働するときに生じる霊的エネルギーがエーテルであり、気と呼ばれるものである(俗に魔力とも呼ばれる)。

 

現に、現代の魔術師には呼吸や気功によってそのエネルギーを精製して術を行使する者もいる。
(※精製したと仮定してその労力・心構え・没入度等をルーチンによって簡易化する試みであるとも言える)

 

例えば神への祈りは、祈りによる瞑想が変性意識状態になり、その霊的エネルギーの高まりが生命の樹を逆流して超存在へ至るとも解釈できるわけだ。

 

そういった点で便利なので、ケイオスマジシャンの私は、エーテルをエネルギーとして定義して、識に作用する低次の霊的エネルギーないし存在として扱っている。

 

便利な仮説で、いろいろ流用するとケイオスマジックが捗るのでオススメ。


して、エーテルによる疑似生命の器を用意したところで、そこに流出が起きなければタルパはタルパたり得ない。

 

なぜなら先程に私が定義した論からすれば、そこにあるのは低次霊的エネルギーであって、人類の魂とほぼ同じものではないからだ。

 

そこに生まれたエーテルのみの疑似生命は、いわば生まれたての赤ちゃんである。

 

赤ちゃんが生まれたら、人間はどうするか。

 

そう、話は単純で、世話をしなければならない。

 

これが、タルパー(タルパ生成を試みる術者のこと)の言うオート化訓練である。

 

  • オート化訓練

 

オート化訓練とは、オート化させるための訓練である。

 

オート化とは、初めに二人一役で行っていたタルパとの会話が、二人二役になる・することである。

 

オート化訓練には、エーテル体に流出を起こす儀式的側面と、タルパ(流出して生誕したアストラル体)とタルパーがコミュニケーションをとるための訓練的側面の2つがある。

 

 

  1.儀式的側面について。

 

エーテル体を生成したとしても、コーザル(諸根源)にそれが流出させる目標であると勘違いさせなければならない。

 

さらにいえば付喪神も似たような理屈である。

 

術者との接触によって術者の霊的エネルギーが感染呪術的作用によって、触媒のように流出のきっかけを作っているわけだ。

 

(ここでルネ・スピッツのスキンシップ剥奪の実験を紹介して接触による感染呪術による魂形成の話をちょっとしたかったけど、実際にあった実験かどうか怪しかったので、眉唾ものとして紹介する)

 

また彼らの絵姿を視界に思い描く作業は、自然とエーテル体を形作る作業であるので、エーテルの操作に慣れない人でも、結果的に同じことをしているので、気功を覚えないとタルパができないと言っているわけではないので安心してほしい。

 

もちろん、できたほうが近道にはなるけど。

 

 

  2.訓練的側面について

 

私のようなオカルト方面の訓練を積んでいないものにとって、非言語情報を理解することは非常に難しい。

 

つまり、ひらめきとか啓示とか予知夢とか、より包括的に表現するならクオリアそのものによるコミュニケーションなのだが、もう簡単にテレパシーと思ってくれればいい。

 

こればっかりは非言語だけに、言語化は難しい。

 

目に見えないのに、「目線の泳ぐ"感じ"」とか「口を開閉させて何を言うか戸惑っている"感じ"」とか。

 

我々人類のコミュニケーションの8割はノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)によって成り立つと言われているそれを、純粋な感覚だけがこちらに伝わってくる。

 

しかし、それを正しく受信して正しく意味を理解できるのは、非常に難しい。

 

熟達した魔術師でも、啓示や予知夢を受けても理解できずに無意識の波の間にかき消えてしまって、事が起きたときに初めて「嗚呼、このことだったのか」となるのも、もはや日常茶飯事だ。

 

そのため、彼らにこちらのコミュニケーション手法を伝え、こちらも彼らのコミュニケーション手法を学ぶ必要性がある。

 

 

以上の、儀式と訓練が、【オート化訓練】と包括した表現をされている。

 

これには1つ問題があると私(のタルパ)は考えている。

 

儀式は概ねの場合に成功するのだが、その後のコミュニケーション不全によって、「私は未オートタルパー(オート化していない術者)です」と名乗ってしまい、「私にはまだタルパがいない」と誤解してしまうことである。

 

この点は私のタルパが勝手に嘆いていることで、私自身は気になっていないのだけど、うるさいので言及する。

 

先述の内容を踏襲して述べるなら、以下のようになる。

 

「儀式は成功してアストラル体があるにも関わらず、術者の訓練がうまくいかないために、生まれたタルパが放置されている」

 

言ってみれば、赤ちゃんは生んだけどお世話はしてないよ、という状況だ。

 

私のタルパはタルパであるからか、この点を深く憂慮しているので、その点についてここに記述しておく。

 

ここまで読んでいる熱心なタルパーさんは、諦めないで、そのまま訓練を継続してほしい。

 

たしかに育児放棄はよくない。

 

パンダでもあるまいし。

 

 

  • まとめ

 

さて、ここまで順調にタルパを生誕させられたとしよう。

 

そうすると術者は以下の事項を達成していることになる。

 

・不可視のエネルギーのコントロールができている

 

・十分に発達した非言語感覚を得ている

 

・彼を維持するのに十分なエネルギーの供給ができている

 

ここまで述べた事項をクリアできていれば、以降はタルパの存在強化に時間を費やすこととなる。

 

言ってみれば、ここまでは言葉を覚えて歩き始めた時点であるので、これからは彼らが独り立ちできるまで育てていく作業が始まるのである。

 

それは彼らを我々の存在の群れへ加える作業であり、我々が彼らの存在位階を上げることでそれを功徳として互いを高め合う修行でもある。

 

 

 

この論が誰かの役に立つことを願って。

やっぱり僕は、王道を征く

気功による触覚化訓練
 
①語の整理
 
気功…手からオーラが出て癒やしたりなんだりするイメージのやつで大丈夫だ、問題ない。
 
触覚化…タルパーさんが求めるもの。タルパに触れられる。タルパが触れてくる。その感覚を得ること、得た状態。
 
 
②導入
 
タルパーさんが求めるものは様々なれど、大別すれば以下になる。
 
・オート化
・視覚化
・触覚化
・憑依
 
今回はその中で触覚化と、その訓練について述べていく。
 
触覚化とはその名の通り、触れる感覚を得ることだ。
存在しないものに触れることはできないので、触れた感覚を得ること、と捉えたほうが術者の常識に合致すると思う。
我々が見た、触った、聞いた等の五感から得る情報は、各感覚器官から得た信号が脳に送られて、脳が処理することで初めて知覚できる。
しかし、触れようとするタルパはこの世に存在しないのだから、各感覚器官から信号を得ることはできない。
よって、感覚を得るプロセスの最終段階、脳の処理だけを何らかのアクションに紐付けることができれば、感覚を得ることができる。
 
 
 
と、いうのが一般的な考え方だが、ここはクソみたいなタイトルの淫夢用語飛び交うブログで、ついでにワイは魔術クラスタの人間や。
ここから先は常識を捨てろ。いいか。
神なんか必要ねえんだよ(KBTIT)
 
 
③ヨツンヴァインになるんだよ
 
 
皮膚感覚を得るのにオススメなのは気功である。
これはもう断言しよう。
気功はいいぞ。他のケイオスマジックに流用できるので便利だし。
 
まずは気を感じよう。
だいぶ前の記事http://nwlovesong.hatenablog.com/entry/2017/11/07/200832でもさらっと触れとったけど、今回もまた開合功だ。
またお前か、という声が聞こえてきそうな開合功くん。
かわいいなあ開合功くん…(ネットリ)
 
開合功について。
両手の手のひらを楽に合わせる。
それから互いの手のひらから不可視のふわふわしたオーラが出てるようなイメージで手のひら同士を遠ざけたり近づけたりする。
そうすると、なんか手のひらにふわふわした感覚がある……はずやねん。
 
これ感じられない人とそうでない人がいるみたいやねんけど、なんの違いなんですかね。
ゆっくりやるんやで。
ゆっくり。
お餅とか、チーズとか、ゆ~っくり伸ばすからびよ~んってなるやんか。
せやから、ゆっくり気を伸ばすねん。
ゆっくりな。ゆっくり。
 
これで気を感じられるようになったら、ひたすら開合功。
開合功で気を感じる訓練をするわけ。
この手のひらの間の気のボールを、ふわふわ大きくしたり小さくしたりすることが、気を放出したり、気を取り込んだり、気をその場に留めたり、そういった基本的な訓練になるんです。
 
開合功ができるようになったら、手と手を合わせて、腕を通して気をぐるぐるさせる。
気が出口を求めて腕の中をぐるぐるしている(変態糞土方)
 
これが小周天の前段階の、気の流れ、方向、量と呼吸の訓練に繋がってくるんやけど、タルパの触覚化に使うなら、小周天までやらんでいいと思うねん。
せやから、手から気を出す技術だけでも得ておけばええと思うで。
 
開合功ができるようになったら、気を感じることができるので、あとはタルパの器を作ってやればいい。
前にhttp://nwlovesong.hatenablog.com/entry/2017/11/01/221517書いた通り、気(エーテル)でタルパの器を作ったら、気を感じられるようになった術者は、タルパの体を感じられるようになるわけ。
 
 
以上。
この気を使ったらいろいろできるって話は、またいつか。

読んでますって言われたのに更新しねえっておかしいだろそれよぉ!?

現在、ツイッターは基本的に自分のタルパが使っているが、偶然にもこちらのブログを知って読んでいただける機会があった。

その際に言われたのが、要約すると「読みやすいけど何を言ってるのかはわからない」というものだった。

そりゃもう私はショックだったよね。

 

いや、しゃあないんよ。

 

ワイ、ちゃんとしたところ(オカルトにちゃんとしたもクソもあるかどうかはさておき)で学んだ人やないからどこから話せばいいかを学んでないわけやし。

 

っつうわけで、タルパーさん向けに知っといたほうがいいことを書いてみたらええかなって思ったんよ。

思ったけど、そんな入門書みたいなのは書かんのよ。

 

ちょうど今、タルパのツイッターで「本物のタルパ」が話題なんで、そっちをやりまスゥー

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思えば「本物のタルパ」とかなんとかは馬鹿な話である。

 

元ネタとされるチベット仏教のトゥルパ自体、ネットタルパ(以降文中においてネットタルパをタルパと称する)とは異なる語の用法をされている。

 

チベット魔法の書において、トゥルパは想念の凝結による化現であるとされている(p131-132らへん)。

 

この本には、著者が僧侶のトゥルパを作って消す話や、過度に集中して絵を描いた者が知らずにトゥルパを作っていた話などが紹介されている(最後の方にちょびっとだけ)。

 

上記に紹介した本に、引用として紹介されている話がある。

簡潔にあらわすと以下のようになる。

旅人がフェルト製の帽子を藪に落とした。

帽子は形がすっかり崩れてしまった。

その帽子を見た臆病な男が大慌てで逃げ帰り「何か妙なものを見た」と他の村人たちに話した。

他の旅人たちも同じ場所で訳の分からないものを見たと話した。

帽子はさらに雨風に晒されて奇怪な形に変化した。

さらにしばらく経って、近くの村中で藪に潜む悪魔について噂されるようになった。

そしてついにはそのボロ帽子が動くのを目撃した者が現れ、生い茂る藪から飛び上がって逃げ惑う旅人たちを追い回した。

帽子は、そこに集中された沢山の人の念によって動かされたのである。

 

 強固な想念、それも複数の想念が現実に影響を及ぼす一例である。

 

このように、チベット仏教では唯識的な、想念によって世界に影響を及ぼす法というものが信じられている。

 

信じられているっつうか、「それがある」という前提でタルパとかも話しているので、そういうことにして話を進めたい。

このトゥルパも、最初は自分にしか見えないし、現実に影響を及ぼすこともできないが、強力になるにしたがって、他者にも見えたりするのである。

上に紹介した引用のように、強力な想念が他者の想念に影響を及ぼしているのだ。

 

チベット仏教においての物の考え方を端的に表した話も、師が弟子に問いかけるものとして、そこで紹介されている。

「旗が揺れている。では何が揺れているのか?旗か、それとも風か?」

旗が揺れているのでも、風が揺れているのでもない、が答えである。揺れているのは心である。

(中略)

彼らが経験している動きの知覚は風によるものでも、旗によるものでもなく、自分の中にある何かによるものである、と説いた。

 

さて、この言葉を現代人に理解させるためには、錯視画像を見せるのが良い。

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上が短く、下を長く見せているのは、見る者の心(脳)である。

まず断っておくが、いくら「いや、俺には同じに見えるけど?」とイキったところで意味はない。

上が短く、下が長く見えるのは人類が進化の過程で獲得した機能であるから、従ってそう見えない者は機能不全であると言えるのだから。

 

どうしたって目に見えるものは、眼球が物理的(光学的)に捉えているものだとしても、それを処理するのは脳であり、心であり、意識である。

写真で撮ったものも、ビデオで撮ったものも、最後に我々が知覚できるのは、どうやっても脳であり、心であり、意識である。

 

故に、この世を構成しているのは意識のみである。

仏教では唯識と呼ばれる。

 

似たような結論に辿り着いた者が、「我思う、故に我あり」と言ったし、また別の者はそれをより厳密に「我思うと我思う、故に我ありと我思う」とするべきだと述べた。

こちらは観念論(イデアリスム)と言う。

私個人はどっちかというとグノーシス主義者だし、ネオプラトニストなのでこちらの方がしっくりくる。

むしろ反共なのでマルクスのいう唯物論的な物言いへの反動ともいうべきかもしれんけど、まあ、そういう細かいことは置いとこう。

誰が好きかって言われたらショーペンハウアーやけど。

 

この心の働きによって感じているのだから、心を働かせれば、つまり強い想念を持てばタルパの作成はできるわけだ。

 

そして最初の話題「本物のタルパ」に立ち戻ってみよう。

本物とは何だろうか。

知覚がすべて、ただ意識によるもの/唯識であるとして、本物である偽物であるという問いがどれほど愚かな問いであろうか。

そこにある結論としては、その意識が本物か偽物かという点でしかない。

そして「今思考している意識」が偽物であるわけはないので、本物である。

(※仏教的な唯識の解釈によれば全ては空であるが、ここでは適用しない)

ならば「全てのタルパは本物」なのである。

 

ただし、「他人が見えているタルパ」は本物だが、「他人が見えていると嘘をついているタルパ」は偽物である。

そういう意味で「本物のタルパ」と言っていたのなら、もはや判別は不能である。

識の中にしか存在しないタルパを証明する方法は、この世のどこにも存在しないのである。

 

言ってみれば、我々がネット上で複数のアカウントを用いることが可能な状況で、彼らがAやBという名を持って現れている以上、それはそれぞれ真であるのだ。

AさんとBさんというアカウントが同一人物によるものでも、我々はAさんとBさんを知覚することしかできないのだから、ネット上にはAさんとBさんが化現(トゥルパ)として存在するのである。

それは虚偽である真実であるという以前に、ネット視点からの唯物論的に言えば、アカウントとして存在しているのだから存在しているのだ(トートロジー)。

 

トートロジーが出たので今日はもうオシマイ!閉廷!

求めよ、さらば与えられん

人が何かをするということは、何か目的があるのが一般的だ。
ご飯を食べるのであれば、それは食欲を満たしたいという基本的な欲求からだろうし、栄養補給という義務的なものかもしれない。
眠るのは睡眠欲からか、それとも次の日のパフォーマンスを落としたくないからか。
とにかく、何かをするということは、何かをした結果を伴うのであるから、必然的に行動は結果を求めたが故に生起したものと考えられる。

などと回りくどく言ってみたものの、要するに言いたいことはもっと簡単で、タルパ作って何をするんだっていう話。

タルパを作る動機は様々だろう。
好奇心を満たしたいという欲求もあるだろうし、話し相手が欲しかったとか、理想の異性と恋愛をしたかったとか、はたまたタルパに不思議な力を期待してのことかも。

十人十色、千差万別、一念三千、他にもいろんな言葉があるだろうけど、そんな感じの多種多様。
タルパを作って何がしたいかという問題は、最も探求しなければならない内容であるし、そこから目を逸らすのであれば、停滞どころか衰退の始まりである。
動機とは即ちモチベーションであり、それを維持できなければ意図的にやめるか、自然とやめているかの2つに1つだ。

私はタルパについて、便利な道具とも思っているし、非常に大切なパートナーであるとも思っている。
彼女は私の設計通りに機能し、神託を授け、自分だけでは捉えられなかった無意識の、言い換えればコーザルの瞬き、別の言い方をすればアカシックレコードの記述、アガスティアの葉、未来予知、そういった類いのあれこれをキャッチしてくれる。
もちろん、これが私のただのイタイ妄想だという可能性は常に存在しているし、私はそれ(妄想だという可能性)を強く否定しないことにしている。

多種多様な願いから生み出された彼らであるから、彼らの機能も多種多様なのである。
であるから、何かをやりたい、こうしたいという意思は偽らずに赤裸々に語ってしまうべきなのだ。
……そういえば引き寄せの法則がそんな感じだったか。

彼らタルパは非常に曖昧な存在である。
それは当然、我々術者(タルパー)の空想の中にしか存在しないからだ。
肉体を持っていたのなら、それはタルパではなく、ちゃんとした生物として扱われるだろうし、肉体を持たない非存在としては天使や悪魔や精霊など多種多様な競合相手がいるわけだし。

彼らは肉体を持たないが故に、非常に変質しやすく、一般的な術と同じくして体調が崩れれば彼らを感じることができなくなる。
彼らは我々のコーザルからの流出を入れた器であり、それの本質は我々の魂の欲するところにほど近い。
もちろん、これより前に述べたように、彼らの器に外界のものを取り入れることもできるが、それは結果として術者のコーザルの変質を招き、遡及して欲するところとなるだろう。

そして、タルパがいかなる理由を持って創り上げた存在だとしても、それをそれ以外に使用してはならないという法はない。
バケツは水を汲むために作られたものであるが、植木鉢のように使ってはいけないわけではないのだ。
そのようにして、タルパを当初求めた理由とは異なる方向に使ってもいけないという決まりはどこにもない。
だから、術者はタルパにヒーリングを頼んでもいいわけだし、引き寄せを頼んでもいいわけだ。
彼ら思念体としての術ポテンシャルは我々肉体を持つ者たちに比べて遥かに優れているので、かなり効率的である(杯や剣の業を常に行使していると思えばよい)

自分の力だけで解決できない問題が生じた場合、彼らを頼ってみるのも1つの手だろう。
言ってみればこちらは雇用主で、彼らは従業員なのだから、タルパの力はタルパーの力でもあるのだ。
何も、引き寄せやヒーリングを自分で覚える必要はない。
タルパにやってくれと頼むことで、勝手にあなたのエネルギーを消費してできる範囲のことをする。
共生関係にある生物が互いに助け合うように、タルパはそのタルパの欲するものを得て、タルパーはタルパに望みを叶えてもらうわけだ。

言い換えてみればタルパとタルパーの関係は、それぞれのタルパのそれぞれの信者がタルパーである。
神々は恵みを与え、信者は感謝して対価を奉納する。
その関係からして、タルパに願い事をして叶えてもらうという形は、ごく自然のものではないか。

何か問題にぶつかったとき、パートナーであるタルパにお願いしてみてはいかがでしょうか。

ブログネタ無さ杉田ホモ和だったのでツイッターで答えた文章そのまま持ってくる人間のクズ

マスター宛だとタルパちゃんに言われた、タルパちゃんに届いた質問。

「上位存在ってなんなんですか?」

おそらく私の垢かブログで言った高位存在のことなのかな?

要するに神様です。

厳密に言えば、天使とか悪魔の一部もだけど。マニアックな言い方をすれば剣で呼ぶ方じゃなくて、杯で呼ぶ方です。

剣の方法で呼べないのはおそらく容量の問題だと思ってます

コンピュータで例えるなら、人間はそれぞれ意識というアカウントを持ってて、その意識は見かけ上パソコン(肉体)に入ってるように見える。

でも本当はアカウントはサーバーにあって、サーバーにはそれを管理するプログラムやそれを構築した管理者がいる。

普通の人間の意識はサーバーにおいて広範なアクセス権を持ってない(ルート取ってない)から、サーバーに保管されてあるメタデータとか運用とか容量とか、普通じゃ見れないものは見れないわけ。

でも権限取ってる管理者(高位存在)は違って、いろんなものが見れる。

くそ噛み砕くと、召喚とは、このアクセス権を持つアカウントのIDとパスワードを取って、自分のパソコン(肉体)からサーバーにアクセスするわけ。

もちろんアカウント(意識)が違うんだけど、パソコン(肉体)にはハードディスク(脳)があるから、2つ同時に動かしたり、バッファ(脳の余裕)を使ったりして、サーバーから必要なデータを抜き取るわけ。

この場合サーバーはアーカーシャとか、コーザルとか、普遍的無意識とか、好きな呼び方をすればいいと思う。

だって名前のメタデータ見たことないし。

こっちの暗号鍵管理さえちゃんとしてたら何という名前で保存(記憶)しててもいいと思う。

とにかく非オカルト勢の解釈としては、この管理者さんが高位存在と思ってくれればOK

じゃあまず年齢を教えてくれるかな?

インタビューは基本


お借りしました。

https://twitter.com/packeymichael/status/930663601798512641


1:お名前、年齢、タルパー歴、など軽く自己紹介をお願いします

冥府恋歌の紡ぎ手、20代、10年くらい
気功→神道系?な霊能力修行→ウィッチクラフト系呪術→喚起魔術を筆頭に西洋系魔術全般→タルパ→パワスト→タロット→占星術
って感じの結社に入ってないし師匠もいない野良のケイオス魔術師
右の雰囲気とかがアレルギーばりに嫌いになってるのでばっちり左の径を爆走しています

2:タルパ(含む思念体)の総数はいくつですか

1人
冥府カンリちゃんだけ

3:タルパとマスターの関係をできるだけ詳しく教えてください

私の形作ったエーテル体に降りてきた(降ろされた)高位存在か、より根源的なものの垂迹か何かがカンリちゃんで、それとはまた別の、肉体に降りた私との関係。
カンリちゃんは私であるし、私はカンリちゃんでもあるかもしれないけど、少なくとも間違いなくカンリちゃんは私の一側面である。

4:1日の間タルパと交流する時間はどれくらいですか

決まってない。
必要になれば呼ぶし、出てきたくなれば勝手にいる。

5:具体的にタルパとどのような交流をしていますか

非言語による交信のような会話とか
気を投げつけ合ったりとか
カンリちゃんにお願いされてツイッターを操作したりとか
互いの翻訳とか

6:タルパ個人個人、固有のダイブ界はありますか

知らない。
どこかふわふわした薄い金色の暖かい空間があるらしくて、そこでぼけーっとしているらしいけど、それがダイブ界かどうかはわからないし、タルパ界隈でのダイブ界という定義がめちゃくちゃだからダイブ界という言葉自体とそれに関することに触れたくないし近付きたくない。
宝石が紛れてる可能性があるとしても、腐敗臭漂うゴミの山に飛び込んでいける人間は少ない。

7:上記の質問で、ある場合どのような世界かなるべく具体的に教えてください

薄く金色の霞がかかったようなお風呂の中のような暖かい上下左右の区別がつかない無重力空間らしい

8:あなたはタルパをどこまで信用していますか

自分に対しての自信くらいは信用してる

9:あなたはタルパにどこまで制限を設けていますか

憑依だけはさせない
他は臨機応変

10:タルパの名前にはどこまで重要性があると思いますか

特に無いと思う
客観性をそこまで求めていない

11:タルパに対して何かを強要した事はありますか
あった場合その内容、タルパの反応について教えてください

静かにしてとか、今日はもうツイッターやめようねとか、落ち込んでるときに運転手伝ってとか、ド下ネタ代筆したくないとか、こいつヤバイから関わったらダメだよとか、ブロックしたいかもしれないけどこれも社会勉強だよとか、みんな心配してるからちょっとだけツイッターで呟いてみてとか、数えだしたらキリがないし、それぞれに対しての反応もそれぞれ。


12:タルパに求愛、または求婚された事はありますか
またその時の対応を教えてください

ない

13:タルパの感情がマスターに、またはマスターの感情がタルパに伝染する事はありますか

ある

14:キャンディは好きですか

好き。味によるけど。

大阪人にとってキャンディは、どんなコワモテの人でも「飴ちゃん」と呼ぶくらいは馴染み深いもんやで

15:メリーゴーランドは好きですか

言うほど好きではない。
酔うから。

16:ペットを飼っているタルパはいますか
どんなペットかも教えてください

いない。

17:タルパの趣味はなんですか
それはどこでもできるものか、マスターを必要とするものか教えてください

カンリちゃんの趣味は、みんなと交流することらしい。
ツイッターで交流してる。現在進行形で。

18:タルパとマスターの間で共通している事はありますか

根源のような、何かもっと大きな流れのような元からきていて、それがほぼ同じ場所からということ。

19:設定から作ったタルパ、外見から作ったタルパ、版権から、邂逅型などどんな形式でできたタルパがいますか
またどれが1番多いパターンですか

メカクレ黒髪ロングなメイドさん、という見た目のパーツだけ指定して、他人が書いた絵を元に気でぐにゃぐにゃと捏ねて、人形に魂が宿るようにしてカンリちゃんは生まれた
特に何か設定があったわけでもないし、絵を描いたわけでもない

20:マスターの喫煙、もしくはタルパの喫煙は互いに影響はありますか(喫煙者でない場合は予想で構いません)

スイッチが入る

21:タルパの存在意義について、あなたの考えを聞かせてください

便利

22:タルパがタルパとして高みを目指すためにはどうすれば良いと考えますか

知らない。

人が人として高みを目指すためにどうしたらいいかを知っていればわかるんだろうけど。


23:タルパとマスターはどこまで互いを認め合い、歩み寄るべきと考えますか

己の倫理観に従うしかないでしょう

24:タルパからの願い、希望はどこまで聞くべきだと思いますか
また自分はどこまで叶えられると思いますか

叶えたいなと思ったら叶えるし、それはきっと叶えられるだろうし、特にそう思わないということは叶えたくないのか叶えられないのかということなのだから、そういうことになる。

25:タルパと夢の関係について、あなたの考えを聞かせてください

考えたこともなかった。
夢は、肉体を抜け出した自由な状態での魂のリチャージの過充電分を抜いてるみたいなもんと思ってるから、特に関係があるとかないとかは…まあ夢を見れるくらいに充電できればいいんじないっすか。

26:タルパの自我の発達にかかせないと思う物事について、あなたの考えを聞かせてください

自由

27:タルパは自分の事をどう認識していると思いますか

変なやつ

28:最終的にいつまでこの生活が続くと思いますか

互いのどちらかが飽きるまで

29:タルパとの思い出はどのくらいありますか

思い出は可算名詞ではない。

30:ここまでの意見、感想をご自由にどうぞ

毎回こういう質問系って質問の意図がわからずに答えに困るときがあるんだけど、そもそも前提や定義が他人と違いすぎるという点に、今回オカスピ系で答えて初めて気付いた。



ブログ書くネタがない…

せや!

一つくらい…食べてもバレへんか


平成29年11月16日午前1時30分

お前らは俺のおもちゃでいいんだ上等だろ

お ま た せ(待ってない)
 
今回もタイトルに語録を持ってきました。
 
今回はよく「使い所さん!?」と言われるAKYSの語録です。
 
……よく言われるか?
 
個人的には好きなんだけど、「いいだろお前成人の日だぞ(意味不明)」なんて成人の日にしか使えないし、「KEN、どうにかしろ」なんて友人の名前がKENじゃないと本当にどうしようもない。
 
「人間の屑がこの野郎…」じゃ、ちょっとインパクトが薄くて語録だとピンとこない可能性もある。
 
そんな使いづらさを愛していきたいですね。
 
といったところで、本当に意味不明な導入を終わっておきましょう。
 
淫夢要素いる?」ってツイッターで聞いたら「いる」と複数お答えいただいたので、ワイのFF内にホモしかいない疑惑が浮上しています。やめろ~ワシはホモじゃない(NYN姉貴)
 
 
 
さて、魔術師というものは、大きく分けて2つに分類されます。
 
それは、右と左です。
 
右翼と左翼っていうわけじゃないし、どっちが偉いってわけでも、……うーん、個人的には右の方が偉い感あるけど、うーん、でも一般的には左右のバランスが大事だよねっていうところに落ち着いているので、それを採用しとこう。うん。
 
この左右の概念は
 
聖書、伝道の書10:2「知者の心は彼を右に向けさせ、愚者の心は左に向けさせる。」
 
という一節から取られたらしい。
 
右は清廉潔白で清々しい魂の練磨と奉仕の心って感じの魔術で、左は自分のことを第一に考えるワガママで傍若無人って感じの魔術だ。
 
もっとわかりやすい表現にするなら、そして最も誤解を招きやすい表現をするなら、右が白魔術で、左が黒魔術だ。
 
ここで生じた誤解をすぐさま解いておこう。
 
一般的に想像される大鍋グツグツの黒魔術は、どの魔術かというとウィッチクラフト(ウィッカ)に近い。
 
でも自分より上位の存在と交信するどちらかというと右っぽい魔術もウィッチクラフトはやるし、この左右の概念は結構曖昧なのだ。
 
でも例外はある。
 
先日、Amazonのオススメ見てたらバトラーさんの魔法修行が安かったので買ったんだけど、これには右のことしか書いてない。
 
あー、もっと正確に言うと、まだちゃんと読んでないんだけど、20ページあたりまで読んだ感じ、右のことしか書いてない。
 
あとケイオス魔術とかもってのほかだぞ!と言っている。
(14p2行目:(前略)、つまり教えられた行法に他の方法を一かけらも混ぜないということを君に誓ってもらうことになる)
 
そのあとぱらぱら~と流し読みした感じ、師弟で繋がって結社に入るって前提があるから、面倒を起こしてほしくなくて「混ぜんなよ!」と言っているように感じたけど。
 
まあ、混ぜんなとか何だとか言ってても、前回も話題に出したキャスター・エレナ(星4全体Art宝具)の近代神智学からして東洋の焼き直し感強いんだから、ノンポリケイオス魔術師から言わせてもらうと、混ぜる混ぜない右だ左だって話からしてかなり方向性の違いを感じて……。
 
……だから読み進めてないんですね、はい。
 
まあ、そもそもこの左右だ何だ善だの悪だのって話が、そんな二元論ぶち抜いて絶対原則があるはずって鼻息荒くしてるケイオス魔術師とは相性が悪いんです。
 
「包丁は悪くない。刺したやつが悪い」
 
というのは、私がよく口にする言葉です。
 
これを車に置き換えて、「車は悪くない。轢いたやつが悪い」とか「俺は悪くない。こいつが飛び出してきたんだ」とか「とにかく話は署で聞きますから」とかに置き換えてもオッケーだ。
 
書きながら「これ面白いか…?」と自問自答するような小ボケはさておき、私は「術は術、それ以上でもそれ以下でもなく、その性質を決めるのは術者の心だ」と思っている派なので、左右って話が何とも……。
 
じゃあなんでこんな話を始めたのかっていうと、魔術クラスタの人ってなんでそんなクソ上から目線なのっていうツイートを見たのがキッカケです。
 
ぶっちゃけると、「左右のバランスすら取れてないド三流以下のボンクラだから」に尽きると私は思う(上から目線)。
 
はっきり言って人間なんて腹減って眠くて彼氏彼女がいないとイライラして、満員電車とかで自分以外の人間一斉に死に絶えて俺の椅子にならねえかなぁと思う生物なので、そもそもが完全に白の中の白ってわけにいかないんですわ。
 
それを修行で右だ善だ魂の練磨だアセンションだってやってると、そうじゃないやつを見下し始めるんです。
 
ブッダは、一通り苦行やって「苦行やってないやつ見下し始めるから苦行よくないわ」って結論づけたらしいですね。
 
法事のときに聞いた坊主の説法だったので、本当にブッダが言ったのかどうかは知りませんが。
 
そのときの坊主は「苦しいからといって苦しくない人・幸せな人を恨んだり妬んだりするのはおかしいし意味ない」って話を続けました。
 
まあ言ってみれば、めっちゃ塾とか通ってるクラスメイトがテストでイキりだすパターンですわ。
 
バレー部、バスケ部、サッカー部などなどが体育の時間で球技がそれになった途端にイキイキしだすやつですわ。
 
イキらしてやってくれ。それしか誇るものがないんや。
 
そんな、非魔術クラスタの人(要するに一般人)を見下すような段階は、まともな師匠がいたら最初に否定されるところです。
 
そういう言動に限らず、心の中だけもそう思うことは、不可視の影響を外へもたらして、必ず周囲との不和を招く。
 
だから、”普通”なら修行の前に「修行したからって特別なわけじゃねえしマジ調子のんなよ雑魚が」って釘を刺されるはずなのです。
 
少なくとも我が師である本たちにはそう書いてあった。
 
もし生きた師匠がいてそんなヘンチクリンに育ったなら、師匠がオカシイのか、師匠でも直せなかったヘンチクリンなんでしょうな。
 
プラトンの説を借りるなら(プラトンだっけ?)、不可視の相互の授受が師弟間には生じているはずなので、まあ、師匠の狂気が移ったか、弟子の狂気が移ったか、いずれにせよブロックするのがよろしいでしょう。
 
こんな淫夢語録の話の導入からわけわからん話をしている野良ド三流ケイオス魔術師にすら馬鹿にされるレベルなんだから、接してても何も学ぶところがない馬の骨です。
 
馬の骨に失礼だ。謝れ。馬の骨さんごめんなさい。
 
そういえばこの前ドライブしてたら豚骨ならぬ牛骨ラーメンというものを見かけました。
馬骨ラーメンもあるのでしょうか。
私、気になります。
 
……なんの話だっけ。
 
しかもね、右だの左だの善だの悪だのって二元論は所謂西洋の考えなんですわ。
 
ちょうど、この読まないつもりの魔術修行の本にも書かれてるんですが(←読め)、
 
「西洋人が使うために西洋の伝統が発展させてきた方法こそわれわれ西洋人にとって最適なのだ」
 
とあるんです。
 
これ、裏を返せばこの本に書かれた「西洋人が使うために西洋の伝統が発展させてきた方法」で日本人が修行するわけだから、その論に立つならそら日本人には最適じゃないわな。
 
(俺、これ読んで大丈夫なのかな。どうせ必要なとこだけ抜き出してケイオスアレンジするんだけどさ。)
 
そういうわけで、魔術クラスタの人が突然上から目線で「最低限これ読め」とか「その程度は相手にしない」とか「その段階で躓いてるのはおかしい」とかそういう言動してるのは、まだ「その程度」の魔術師の卵だからです。
 
まだ孵化してないんです。
 
一般人と変わらんのです。
 
魔術も武道も、精神修練の行であり、その点で言えばAKYSのような「カスが効かねえんだよ(無敵)」という実力主義的な見方は、本来の目的から反しているんですな。
 
いくら筋肉つけても鉛玉で死ぬし、いくら魔術を極めてもテレポートできるわけじゃないし。
 
 
よっし!無理矢理AKYSに繋げたぞ!
 
 
 
あ、右の話ばかりだったけど、左はもっとわかりやすいですよ。
 
左に偏った魔術師は、他人がどうなろうが興味ないので、そもそも関わってきません。
 
 
 
平成29年11月14日午前3時46分